On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

「おおきにいちゃんは、もうこれ以上生きておられんようなったけえ――」

母親の兄(長男の方。この日記でたまに出てくる伯父は次男)は自死によりこの世を去っている。丁度、私が生まれた年の11月の事である。生まれたばかりの私を抱いている、私によく似た知らない人の写真が一枚だけ自宅にある。当時の実家は火災により全焼しており、おそらくこの世にあるのはこの写真一枚きりの人。その人が『おおきにいちゃん*1』なのだそうだ。

何年か前に戸籍を見る事があったのだが、その時に母親はぽつりと「おおきにいちゃんは、もうこれ以上生きておられんようなったけえ――」そこまで云って、黙った。伯父は何も云わなかった。私は、数行だけで彼が死んだ事を記した、コピーされた戸籍の手書きの文字を、ただ俯いて見る事だけしかできなかった。

理由は少しだけ聞いた。よくある話だった。そして、そのありふれている筈の理由が、どれだけの辛さなのか、私には推測し切れなかった。そんなものなのだと思う。おおよそ人は推測できるような理由で自殺するし、表向きの理由よりもっと辛い理由が隠されているかもしれないし、本人も辛い理由が判らない事もあるし、その辛さなんて、本人じゃなければわかりようがないのだ。
何か救う方法があったかもしれない。でも、なかったかもしれない。有るように見えた希望に手を伸ばせば、それは幻かもしれない。絶望を抜けた先には平穏が待っているかもしれない。ただ、それが何時なのかは判らないし、他人から見た天国の如く美しい花園は、本人には地獄へ誘う死人花の道にしか見えない事もある。

自死した伯父の事は、どんな境遇だったのかすらよく判らない。ましてや、どんな世界が見えていたのかなど。
自殺関連の話をあちこちの日記や記事で読みながら、「これ以上生きておられんようなった」伯父の事と、才能と努力で夢のしっぽを掴みながらも、丁度二年前、交通事故によって亡くなった同級生の事を考えて居た。

*1:大きいお兄ちゃんの意。小さいお兄ちゃんは「こまいにいちゃん」となる