On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

この世の恋愛地獄、行きも帰りも血を吐く地獄

帰り際の喫煙所で、昔から知ってる先生(既婚者)とWebの先生(彼女持ち)とで恋愛の話になった。ちなみに、既婚者の方は元Theoriaの担任(まぁ退学したけどな)である。
「恋人が居ないと休日に何をして良いのかわからない」と二人とも云っていて、戦慄を覚えた。この人間たちと私は全く違う次元に居る。なるべくなら独りで居たいと願い、世界が滅びるか自分が死ぬかみたいな感覚でいる私とは、同じヒトの形をしていながら、私には全くその気持ちが共感できなかった。元々他人との精神的な意味での共感性が薄い私だが、まさしくあの時の私は宇宙人を見るような気持ちになっていた。
Theoriaに「お前はリア充になれへん」って云われた理由が判った気がする。私の中では他人とコミュニケートするという事の意味があまりにも希薄なのだ。人生の中での優先順位は限りなく低い。この日記は公開された独白に過ぎず、アーカイブを外(Web)に取っておくのは、PCが死んだ時にデータを失う危険性を考慮した結果である。PCの故障で日記を失うより、外で公開されアーカイブされた日記の方がはるかに温存されやすい。良い意味でも悪い意味でも。
私の、何気ない台詞がどんどん彼らの中で捻じ曲がるのを感じた。おぞましい。空気に触れた瞬間に私の口からでた純粋な言語が意味を失う。そして新たな肉をもち、血をもち、他人の中に入力される。
勿論彼らに悪意はない。私も別にその解釈が悪だとはちっとも思っていない。価値観と人生観をはじめとしたありとあらゆるものが違い、それらが同じ日本語なる共通語を話している。それだけの事だ。
そして、私はやはり人間からの疎外を望んでいるし、お互いにとってもそれが最良だという事を改めて認識した。私は、非コミュだ。どんなに取り繕っても、誰とも分かり合えない。判りあいたくもない。虚像だけが膨らむ。それでいい。何も望まない。期待していない。もし私を理解しようとしたいなら、そんな努力などしなくていい。大いなる無駄だ。