On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

薄色プワゾン

昼休みの終わりに、Tさんから健康診断の事前調査票を渡された。毎年代わり映えのしないOCR用紙。これが配られると、今年もあと僅かだと感じる。
そして毎年、手の止まる場所は、「貴方は現在煙草を吸っていますか」の項目。
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[ ] 1.吸っている [ ] 2.吸わない [ ] 3.やめた
 ┗ 一日[ ]本
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週に一日か二日、しかも多く吸っても三本程度。面倒なので、いつも「やめた」と答えるようにしている。
「それだけしか吸わないならいっそ本当に止めれば良いのに」とは良く云われる。一時期「やめていた」期間がある。必要がなかったから、やめていただけだが。
別に、こんなものは酒と似たようなものだ。普段は吸いたい欲が出てきても楽に抑えていられる。私は非コミュだから、他人と会話していて間が持たないだけで、本当はどうでもいいものの一つだ。暇な時に意味なく携帯を弄る代わりみたいなもので、特に意味はない。
荷物になるだろうと云われれば、勿論何もないときよりは、鞄が重いかもしれない。Walther P38やDSよりはずっと嵩張らないけれど。鞄の重さよりも、人と会話する事の重さの方が、基本的には辛いししんどい。
反射的に言葉を選んで、答えて、相槌を打つ。その場ではうまくやっているつもりだけれど、独りになると、なにもかも間違っていたような気がする。中二病的行為を思い出したかのような悶絶を夜毎に繰り返す。パターン化された会話ですら、間違いをわざわざ犯している気がする。
だから、煙草で誤魔化す。自分に都合の良い「間」を取って、紫煙の向こう側にいる相手と対峙する。徒手で相手に向かうよりは、少しだけ安心できる。携帯を弄っていると、相手の視線がわからないから怖い。
他人が怖くなくなったら、ひょっとしたら、或いは、煙草なんて吸わなくても良いのかもしれない。