On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

私は「アプリは作りたい」けれど、「他人を楽しませたい」とは微塵も思ってない

うーん……書くのよそうかと思ったけど、とりあえず書いておく。
例の件(追記じゃないよ)

今日の会話 :

  • J 「脳内メーカーとか成分解析とか作ってみたい。面白そう」
  • 私「(『近似アルゴリズム』を読みながら)ただのハッシュじゃねぇか」
  • J 「ほら、またすぐそういうこと云う……」

この三行が全てを物語っているように感じる。

これは私(=J)とTheoria氏(=引用内での『私』)の会話なのだけれど、どうもあちこちで散見するに、J(=jonathans)という人は、「プログラマになるならば『アプリ開発をしたい』」→「人が楽しむ為のアプリを作るプログラマになりたい」と思われてるっぽい。違うよ。全然違うよ。
私は、あくまでも表現の場が文章を書く・絵を描く等では「脳みその中のデータ群を表現するのに全然足りない」と感じるから、「プログラミングにも興味があるよ」というだけで、それを他人と「共有したい」とか「楽しませたい」とは思ってない。常に、自分を満足させたいと思ってる。その為には既存のアプリじゃ手の届かないものもある。だから、それは自分でなんとかしたいと考えただけであって。
脳内メーカーとか成分解析とかを『作りたい』、それは何の為に『作る』のか。私の場合、「もの足りないと感じるから」というだけに過ぎない。脳内メーカーの中の語彙を自分で拡張したい、くだらない機能を増やしたい、それが他人が必要と思うかはわからない。楽しませたいとも思ってない。制約があるのが嫌だ、自分の思ったような言葉が無いのが気に食わない、それだけ。