On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

天秤

マイミク子な友人が「『全ての友達』と『大切な人一人』を天秤にかけた時、どちらが重いか」という質問をちょっと前に日記で投げかけていた。コメント欄を見るとまぁ勢力としては半々位、その質問をした友人は『友達』を選んでいた。
多分Theoria氏に聞いたら「彼女ッ!」って即答するだろうなと思いつつ、私としてはこんなのは「仕事と私どっちが大事なのッ?」とそう変わらない、うんざりするような質問だなぁと感じてコメントは差し控えた。個人的にはこう聞かれたら即答で「仕事」と答えるようにしている。実際に今までに似たような質問*1は何度かされたのだが、そこで「君だよ」と答えたところで、その人が私を養って呉れる訳でも、遊興費を与えて呉れるわけでも、ボーナス呉れる訳でもないのだ。いや、それを全部満たしたとしても「君だよ」と云えるかどうかと云われれば非常にあやしい。というか、そんな事聞いてくる人間には口が裂けても云いたくない。私は大事でない人とわざわざ遊びに行ったり飯を食ったりするほど暇でも金銭的余裕があるわけでもない。というかどうでも良い人と逢う位なら家で本読んでた方が遥かにマシ。
その前提を理解せずに「●●と私どっちが」云々なんて聞かれたらそれだけで萎える。お前等だってそうだろ。多分。別れる原因にすら成り得るねこの質問は。
ええと最初の質問なんだっけ。『全ての友達』と『大切な人一人』を天秤に、か。どういう状況下なのか知らんが、大切な人を選んだ結果が全ての友達を失うという結果を生むのなら、何かがおかしい状況にあるって事だ。つまり、その「大切な人」が余程の駄目人間か、友人の中に私の大切な人を選んで貰っては何か不利益がある*2のではないか、という可能性が考えられる。大抵は前者だろうけれど。
人生の中でこういうおかしな二択になってしまうならば、今一度人間関係について考える必要があると云う事なのだろう。

*1:つまり『●●と私はどちらが大切か』というもの

*2:大抵はその友人が「私にとっての大切な人」を好きであると云う事ではないかな