On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

車に魂は在りや亡しや

廃車体街道を行く - 世界一孤独なMP4

さて、Old-timerでの絶賛大人気記事*1の話。
MP4と云ってもMPEG-4の事ではなく、ダイハツ・ミゼットMP4型の事である。え、ミゼットがわかんない? オート三輪って云ったら通じる? それもわかんない? じゃあダイハツ・ミゼット……コレで判った? 話を続ける。
飯田線小和田駅という駅の近くに高瀬橋*2という吊り橋がかつて存在した。その高瀬橋が出来た昭和三十二年に、件のミゼットは対岸から運び込まれた物資の運搬用として購入された後、集落の過疎化で移転した持ち主によって取り残されている。
記事の一番最後の写真は、崩壊した高瀬橋と対岸を見つめる男性の後姿のもので、そのキャプションには

その高瀬橋も何度かの台風で朽ち果て、ついに放逐された。もうミゼットは帰れない。

とあった。部品を持ち去られ、草に埋もれながら静かに朽ちてゆくミゼットを思うと涙が出てきた。放置された車は意図的に人間が殺さなければ死なない。ただいつまでも其処に朽ちた廃車として存在するのみだ。それが美しくて、そして悲しい。

車という名の夢

男子たるもの(勿論女子も)スーパーカーだのF1だのトミカだのミニ四駆だの、あの辺が好きだった人はかなり多いんじゃないだろうか。先日「車に夢がない」と書いたが、それを「心が子供に戻れるようなワクワク感が無い」と云い換えても差し支えはないと思う。私の場合、内部の性能にあまり関心が無いので外側のデザインの話しか出来ないのが申し訳ないのだが、たぶん性能派の人間でも「性能がいいけど格好悪い車」になんて乗りたくないのではなかろうか。この辺は推測。
夢を現実にするには良い意味での無駄が付き物なのではないかな、と考える。子供の頃に空想のスーパーカーの絵を描いた事があるなら少し思い出してみて欲しい。無駄な機能や変な羽が一杯付いてたのではないだろうか? 夢の車って云うのはただ燃費が良くて収納に優れていて空気抵抗が少ない車――そんな味気ないものじゃなかった筈だ。

無機質の魂

個人的には車には魂が宿っていると考えている。部品の当たり外れみたいなハード的な個性も、その車で何処に行っただのここでぶつけて凹んだだの元彼と喧嘩して別れただのみたいな個人的な記憶も、思い入れも、ひっくるめて魂。だからこそ、相棒は何処かに魅力を感じて惚れ込んだ車にしたい。大量生産された商品として売る側には判らないかもしれないけれど。

草むらのヒーロー

http://discoverjunk.nce.buttobi.net/
廃車好きって実は結構居て嬉しい。

*1:かどうかは知らぬが私は一番好きな記事。今号はサビ学が休載で残念無念

*2:現在は崩壊