On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

夢はつまり、思い出のあとさき

酷い夢を見た。私はある女性を思いっきり罵倒していた。面識は、皆無に近い。幻想の証拠に、彼女の左腕には、薄く薄くにじむリストカットの痕があった。その傷の薄さが私を余計に苛立たせた。いっそ手首を切り落として死ねと思った。だから、私は「お前なんか大ッ嫌いだ!! 私の前から消えて失せろ!!」と叫んだ。彼女がどうなったのかは知らない。知りたくもないし、どうでもいい。
今此処でPCに文面を連ねている『私』は、夢の『私』の様に、他人に憎悪を抱いたりはしない。所詮人間なんて100年経てば死ぬのだから、死ぬまで生きて苦しめば良い位にしか思っていないし、他人なんて基本的にどうでもいい生き物であり、蠢きざわめく障害物でしかないからだ。だからこそ、他人と10cmも無い距離でその「彼女」を罵倒する、夢の中の私に、私は興味を持った。恐らくあの彼女の中に、私は現実の私を投影しているのだろう。その理由はよく判っている。私が憎むのは、この私自身だけだからだ。それを、気質の似た他人に覆い被せる事で、つまらない比喩として提示したのだろう。朝の淡雪のように、起きた途端に夢の記憶は薄らいでいく。私は意識して、それを手繰り寄せる。なるべく「思い出す」。「自分に嘘を吐かないように、思い出す」。夢の中の事実を。
精神と感情について考える。私は、精神を抑制する為に感情を抑制してるのか、そもそも、精神と感情って同じものなのか、よくわからん。現実と夢の間の境界、現実と幻覚の境界、そこすら見えない愚者である私には、理解できないのかもしれない。