On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

人生冷酷物語

幼少の頃から両親や親戚に「冷たい人間」と評価されてきた自分の言動について考えていた。
私は出来ない約束はしないししたくない。どんなに良い顔をしても、どんなに頑張っても、最後には独りになってしまうという寂寥感と空虚さが、幼少の頃からずっと付きまとっていた。両親も親戚も、皆私を置いて死んでしまうじゃないか、と。だからこそ、出来る約束は可能な限り頑張るけれど、はじめから出来そうも無い約束をするつもりなんてこれっぽっちもない。他人の期待なんて過剰に背負いたくない。重たいだけ。だって、期待するだけして、結局、最終的には置いていくんだから。私は嘘をついてまで期待なんかさせたくないし、それは結局私の首を絞め、他者を落胆させるだけでなんのメリットも無い。だったら「冷たい情の無い人」でかまわない。
皆、置いていくんだろう。判ってるよ。結局ひとりきりで居なければならない。なのになんで皆繋がりたがるのか、私にはわからない。27年生きていてもわからないんだから困る。
繋がってるっていう幻想を孕んで食べて孕ませて食べさせる人たちの空虚さが気持ち悪くてたまらない。そんなものは要らない。致命的に空気が読めないので死んだ振りと鸚鵡返しを繰り返す。それでやり過ごせるなら別にそれでいい。繋がってる妄想をしていればいい。誤解し続ければいい。別にかまわない。同情も共感も出来ないから、貴方もしなくていい。とは思う。人の痛みが判らない。想像力が無いからだ。妄想が私を圧倒するので想像するキャパシティがない。だから私は生き物も平気で殺す。足を全部もいだバッタをアリの穴に突っ込むし、わざと蜘蛛の巣にかけてぐるぐる巻きにされるのをじっと見ている。次の日にカサカサになったバッタが蜘蛛の巣の下に落ちていて、蜘蛛の巣は何もなかったかのように綺麗に張りなおされている。痛みってなんだろう。他人の糧なのかな。多分そうだろうと思う。死ぬのも痛がるのも行き着く場所は同じなのかな。自分が特殊だとは思わない。むしろ普通だと思っている。私は異常なのだろうか。両親もTheoria氏も私は異常だのおかしいだの云う。おじいちゃん先生は私を異常者扱いしない。歪んでいるとは云うけれど。歪んでいるのは正常の範囲内の異常なのか、その境界なのか、深遠に沈みかけているのか。わからない。皆が沼の淵を覗き込んで笑っているのかもしれないし、一人で沈んでいくだけかもしれない。所詮他者という幻覚でしかないのか。私は私という世界の中でしか生きられないのかもしれない。貴方は貴方という世界の中で生きられないのかな。宇宙みたいなもの? 銀河は広いらしいけれど、本当は書割なのかも。同じ場所をぐるぐるしてる糸車飛行機。木星って多分南極の一部で、みんな狐とかにだまされてるの。月は中が黄身餡のお菓子で、ぐりとぐらのカステラとそんなに違いは無い。私が冷淡であっても些細な事だし、それ位で地球の温暖化は止められないと思う。鼻の奥でチョコレートの匂いがふわっとした。そういえば暫く食べてない。連休中に朝ご飯のかわりに半分だけ食べた板チョコを何処にやったのか記憶が無い。でもチョコの匂いがする。幻臭かな? 脳波取らなきゃ駄目かな? でもチョコがないのにチョコの香りがするのは便利かもしれない。きっとチョコレートを私が覚えてるって事じゃないかな? 脳の中のチョコが解けないように、これからも冷淡でいようと思います。