On the yellow guardrail

正字正かなユーザー刑部しきみの清く正しいつつましやかなブログ

気持ちの悪い駄文だから読まなくて良い

妄想のつづき(2004-12-20T07:20:51+09:00)

前提条件

以下の文章はあくまで私見であり、他人に押し付けてどうこうしようとかそういった考えは毛頭ない。理解できる人も理解できない人もいるだろう。私の基本スタンスは「皆考えが違って当然。だからどうした」である。
あと、いつもはふざけた文章しか書きたくない人間だが今回は基本的にマジレスする。私の読み間違いなどがあればその辺は指摘を戴きたい。

以下本文

榎本氏は『頼る』という言葉をネガティブに――つまり、頼る事は即ち依存であると捉えていらっしゃるのではないでしょうか。頼る事は依存ではありません。頼る事は責任を放棄する事でもありません。此処の部分の認識が私とはかなり異なるのだと考えます。一人の人間の出来ることなんざちっぽけです。得意不得意があって当たり前なのです。だから人間は束縛や規則をウザがったりしながらも一人で生きていかないんです。頼る事は私の中ではもっとポジティブな事ですよ。
信じるとは何でしょうか。例えば、「信じている」という言葉のみで足るものでしょうか。私は否だと考えます。例えば信じる故に待つ事もあるでしょう*1。相手の可能性や能力を信じる故に叱責する事もあるでしょう。
もし恋人の掲げる光だけではあまりに頼りなくか細く、目の前の道が暗く見えるとき、貴方ならどうなさいますか。そういった事態は確実に在りうるのです。信頼の置ける恋人や友人、両親の与えてくれる光すら届かない深淵に己の身を置いてしまう事態というものが。もしくは、恋人が貴方を信じる事に関して揺らいでしまった時、貴方はその光を大きくしてあげられる自信がありますか。私は絶対に光を保ってあげられると言い切れません。そこまでの力量は私には無いですし、揺らぐのが私の所為だとしたら、それが恋人の誤解で、どんな弁解をしても無駄だとしたら――私がしてあげられる事は限りなく少なくなってしまう事でしょう。そもそも、私にはその相手を照らす光の存在自体が曖昧です。
残念ながら、私はこの目に見えるものしか信用できません。この手にできるもの、この腕に抱けるものしか信用できません。それすら怪しい時もありますけれど。もしも進むべき道が見えなくなったら「あれ困った。さてどうしよっかねー」とちょっと困りつつも、「じゃ、ちょっと突っ込んでみる?」と手を繋いでのほほんと言ってくれりゃ、私は自分のために、大切な人のために、全力で道を作って見せますよ。勿論「お前も手伝えぼさっとすんな」とは言いますけど(笑)

以下独り言

うわ、自分恥ずかしいぞ。どうしよう。文章もおかしいし。

*1:私の今の恋愛は、只管「待ち」の恋愛です